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第82回 土肥祭・武者パレード

第82回 土肥祭・武者パレード
源頼朝の旗挙げを模して、戦国時代の武者行列が行われます。
町内を練り歩く武者はまさに圧巻です。
◆武者パレード
平成25年4月7日(日)
荒天中止(小雨決行)
五所神社11時出発~湯河原駅11時30分着
◆儀式
五所神社(10:00~11:00) 武将の名乗り・出陣の儀・焼亡の舞
湯河原駅(11:30~12:30) 武将の名乗り・焼亡の舞・出陣の儀
土肥祭(式典・法要・墓参)
平成25年4月7日(日) 雨天決行
城願寺境内 12時30分より
土肥實平、頼朝主従法要・焼亡の舞奉納・一般参加墓参 等
第82回 土肥祭・武者パレード
◆源頼朝旗揚げ武者行列
この行列は、今から約830年前、わが湯河原(当時は土肥郷といいました)の地は、
平安時代の末期、関東八氏のひとり豪族土肥次郎實平が、今の小田原周辺までを領地とし、
荘園をなしていました。
治承4年8月17日、蛭ケ小島の頼朝挙兵は、この實平が一族をあげ、
韮山の北条氏とともに戦略、挙兵、合戦を指揮したものであります。
駅周辺が土肥の館の跡で城願寺(駅裏手300m)は持仏堂でした。
伊豆の挙兵後、この館で頼朝以下300余騎、鎌倉を目指す作戦を練り、
軍備を整え石橋山合戦に出陣したものです。
多勢に無勢、不幸にも源平第一戦に敗れ再度土肥の地に退去、椙山に逃れました。
頼朝は實平の勇武機略思慮遠謀に助けられ、土肥の椙山の隠潜、真鶴より海上脱出。
わずか4カ月後、三万の大軍となり鎌倉入り、幕府樹立となりました。
(時に實平73歳、頼朝34歳、遠平31歳。實平の高齢パワーに驚嘆)
 日本の歴史の中で、この土肥郷約10日間が中世の武家政治発祥の機縁になったので、
まさに「その時歴史が動いた」といえます。
その後信長、秀吉、徳川幕府に連綿と続く歴史を偲んでください。
(源平盛衰記、吾妻鏡に詳しく記述されています。)
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